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自分史第五章①  人生を変えた事故 ― 競泳への挑戦と過労の崩壊

自分史第五章① 

人生を変えた事故 ― 競泳への挑戦と過労の崩壊

前回までのあらすじ…

「陰キャ」「引き籠り」「コミュ障」だった私

阪神大震災の経験、ヤンキー襲撃、専門学校入学、などを経て、少しづつまともな人間になっていったが、中堅フィットネス会社に就職して早々に「見た目」により会員さまと先輩によりいじめを受ける、インストラクターとして自信を喪失した私を変えてくれたのは和歌山への左遷と元五輪代表選手だった上司との出会いだった…

詳しくは→https://www.okugawaseitai.com/blog_detail?actual_object_id=806

 

■ 花形「競泳指導者」へのステップアップ

3施設合同イベントの成功をきっかけに、スイミングでのポジションを確立した私は、次第にJrスイミングの最高峰である「競泳指導」へと進んでいきました。

当時のスイミングスクールでは、Jrスイミングで才能ある子どもを「育成コース」に進ませ、競泳の基礎を身につけさせ、さらに成績の良い子を「競泳コース」へ進ませ大会に出場させる──これが一般的な流れでした。

 

親御さんにとってはお子さんに目標を持たせたい、アスリートに育てたいという思いがあり、クラブ側にとっても「競泳コースが強い=指導力が高い」というイメージ戦略があったのです。

そして、Jrスイミングインストラクターにとって競泳指導者は憧れの存在。花形ポジションでした。

■ 指導者としての成長と昇格

和歌山に来た当初、クロール25mがやっとだった私も、今では4泳法を当たり前に泳ぎ、マスターズ大会への引率、トライアスロン選手のレッスンなどを担当できるようになっていました。
気づけば、スイミング部門の最下層だった私も「育成コース」指導者として施設内でトップ3に入るまでに成長していました。

私の上のポジションには、川嶋チーフと競泳出身の女性S先輩だけ。
そんな中、大阪から転勤してきたHマネージャーに「奥川、競泳やってみんか?」と誘われました。

■ 嫌われ者マネージャーとの出会い

実はこのHマネージャー、「カットマン」と呼ばれる人物で、部下を退職に追い込むことで有名(なのでコストカットするのでカットマン)。

パワハラ気質で高圧的、他施設からも悪い噂が絶えませんでした。
和歌山の人たちは基本的に温厚でのんびりした人が多く、Hマネージャーのような上昇志向の強いタイプは完全に浮いていました。

当時の私は優柔不断で、彼に対して中立の立場を取っていました。
「近づくな」と忠告する先輩もいましたが、私は「みんな大人気ない」と考え、距離を置かずに接していたのです。
──しかし、後になってそれが浅はかだったと気づくことになります。

■ 忠告を無視して競泳の世界へ

Hマネージャーの誘いに、私は心から喜びました。
「ついに競泳指導者になれる!」と胸が高鳴ったのです。
しかし、川嶋チーフとS先輩に相談すると、二人とも口を揃えて言いました。

「奥川…競泳指導だけはやめとけ。お前には向いてない。」

当時の私はそれを「嫉妬」や「Hマネージャーへの反感」と受け取り、二人の忠告を無視して競泳指導に飛び込みました。

──だが後にわかったのは、Hマネージャーは私を利用し、川嶋チーフたちを競泳から排除したかっただけだったのです。

■ 限界を超えた日々と、突然の崩壊

競泳指導を始めると、会社とは別に「水泳連盟」にも所属しなければならず、実質的に二つの職場を掛け持ちする状態になりました。
夏期講習、イベント企画、保護者対応…ただでさえ忙しい中、体力も精神も限界を超えていきました。

 

川嶋チーフも支えてくれましたが、競泳出身でない私は何もかもが手探り。
一年目はほぼ365日中360日働いたといっても過言ではありません。

そして──ついにその日が来ました。

競泳大会当日の早朝、子どもたちの引率準備のために出勤しようとした瞬間。
玄関を出た途端、アニメのワンシーンのように景色がぐるぐると回転し、私は意識を失いました。

目を覚ましたときには、大会はすでに終わっていました。

  

■ 信頼の喪失と孤立

その日、川嶋チーフ、S先輩、水泳連盟の関係者、そして子どもたち…
すべての人に迷惑をかけてしまいました。

謝罪に行った私に、S先輩は静かに言いました。

「だから言ったろ、奥川には向いて無いんやって。」

その言葉で、ようやく二人の忠告の意味を理解しました。
──遅すぎる気づきでした。

その後、信頼を失い、競泳の仕事から離れていきました。

更には仕事仕事で全く時間が取れず一年近く会えずにいた、当時和歌山と大阪で遠距離恋愛をしていた恋人にも「会えない」と別れを告げられ、私は多くのものを一度に失いました。

しかし、本当の悲劇はまだ始まっていなかったのです。
私の人生、そして人格をも変えてしまう「事故」が、この後に待っていました──。

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