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【第2章】絵の世界からキックボクシングの道へ ~心身ともに強い人間に憧れて~
「フィジカルの壁と、自信をくれた鉄の塊」
高校を卒業して、私はフリーター生活をしながら、尼崎にあるキックボクシングジム「士道館シカノジム」に通い始めました。
選んだ理由は単純で、「家から一番近かったから」と「当時、日本チャンピオンだった松尾栄治さんが在籍していたから」。
余程昔のキックボクシング詳しい人以外は知らないと思いますので、参考までに以下の「ゴング格闘技」のサイトに写真が出ています。
当時はとても人気があった選手でした!
https://gonkaku.jp/articles/3794
しかし、実際に訪れてみたジムは、国道の高架下に無理やり建てられたようなバラックのような施設。エアコンもシャワーもなく、練習後は近くの球場の水道を拝借して水浴びするような、今思えば本当に過酷な環境でした。
そんな中には、後に日本チャンピオンになる山本登さんや砂田政彦さんといった猛者もいて、格闘技の世界の厳しさを肌で知る日々が始まりました。
私の体重は当時40kgほど。いかにも貧弱で、周りの野獣のような大人たちの中に混じって練習するのは、正直ビビっていたのを覚えています。
ある日、キックではなく、ジムを間借りしていたフルコンタクト空手の白蓮会館のオープントーナメントに出場することになりました。
K-1出場経験のある先輩・米さんからは「フルコンは相撲だ!押し合いに勝てれば勝てる!」という謎の理屈で相撲稽古をつけてもらい、空手・キックと稽古漬けの毎日。
道場に来るとまず学生時代に柔道部だった米さんとぶつかり稽古&ころがされるのを繰り返し
空手の稽古では今覚えているのは「前蹴り」のさばきの稽古を徹底的に行いました。
キックは基本「サンドバッグ蹴っといて」と言う感じだったので、ひたすらサンドバッグを蹴ってました。
自分なりには試合までの期間徹底的にトレーニングに励みました…が
しかし、試合では一回戦で完敗。
飛び蹴りや踵落としを食らい、耳から流血し、ボコボコも良いところで
私の試合がワンデイトーナメントの全試合で一番盛り上がりました(悪い意味で)
ここで私は「努力だけじゃどうにもならない現実」を突きつけられました。
軽量級にエントリーしていたのですが、それでも体重40kgは規格外の低体重。
小柄な女性の方でも体重40kg以上ありますので…まぁ、勝てる訳ないわなと今なら思えます。
話は全く変わりますが…試合までの先輩・米さんとの謎の相撲稽古は1mmも役に立ちませんでした…あれは何だったのだろう
そこでようやく気づきました。どれだけ気持ちや根性があっても、土台がなければ勝負にならない。技術うんぬん以前に、体が弱すぎるのです。
私はフィットネスクラブに入会し、筋トレを始めました。最初はスクワット20kgのバーで潰れるほどで、女性に笑われたのを今でも覚えています。でも、少しずつ重りが上がるたびに、自分の中で「強くなってる」という感覚が芽生えてきました。鏡に映る自分の体が、少しずつ変わっていく。
その変化は、自信そのものでした。
やがて私は、筋トレが楽しくなり、ジムに通う日々にシフトしていきます。キックの練習からは次第に遠ざかっていきました。
今にして思えば──
勝つためには、夢を叶えるには、やはり土台が必要です。
どれだけ情熱があっても、基礎体力がなければ格闘技の世界では立っていることすらできない。
「努力は必要条件だが、十分条件ではない」
自分を見つめ理解して、目標達成には「自分に何が足りないのか?」を理解しないといくら努力をしても無駄になる。
そう感じ始めた、私の小さな転機でした。