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こんにちは、奥川です。 最近ありがたいことに、 「先生って昔から身体のことやってたんですか?」 「なんで今のやり方に辿り着いたんですか?」
──そんな質問を受けることが増えてきました。
実は、今の整体院や発信スタイルは、 僕のこれまでの人生経験そのものから生まれたものなんです。
ということで今日から少しだけ、 “僕がどうしてこの道を選んだのか”という過去の話を、数回に分けてお届けします。(毎回連載では無いのでご安心を)
でも、単なる思い出話ではありません。
時々施術中にお話しますが…
私は元々は「ガリガリガリクソン」の「虚弱体質」「運動音痴」でした。
そんな私がどうして今トレーナー、施術家として活動して、専門家向けセミナー講師として同業者に技術指導が出来るようにまでなったのか?
今、身体や人生のことで悩んでいるあなたにとって、 「自分も変われるかもしれない」と感じてもらえるような内容になるはずです。
【第1章】絵の世界からキックボクシングの道へ ~心身ともに強い人間に憧れて~
小柄で虚弱、運動も苦手。 そんな自分に誇れるものは「絵」だけでした。 でも、ある出来事をきっかけに、私はまったく別の世界へと足を踏み入れることになります──それは、キックボクシングの世界でした。
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小さな頃から身体が細く、運動はからっきし。
そんな私にとって、唯一自信が持てたのが「絵」でした。
高校1年の時の身長は確か140cmもなかったと思います。
中3のときに友達に「150cmまで伸びたら万々歳やな」なんて冗談交じりに言っていたのを、今でもよく覚えています。
…今にして思えば、まったく“万々歳”じゃなかったですね(笑)
そんな感じで虚弱体質でちびっこだった私は高校時代は運動はからっきしだったのですが、絵を描くのが大好きだったので、美術部に入部して毎日絵の練習に励んでいました。
美術部では部長を務め、高校2年時には兵庫県の美術展覧会で最優秀賞を受賞するほどでした。(下は実際に最優秀賞を受賞した時の油絵)
絵を描くとみんな上手だ!凄い!私に描いて!と褒めてくれる、将来も絵を描く事を仕事に出来たら楽しいだろうな
そんな単純な理由で美大への進学を目指していました。
しかし、授業の空き時間を利用して自身の個展の準備をしては、なかなか絵描きとして芽の出ない境遇を会うたびに私に愚痴っていた美術部の顧問の先生からは
「絵で食べていくのは大変だ…美大進学なんて止めとけば」
と何度も聞かされ、思春期で自信が持てなかった私は、次第にその言葉に重圧を感じ、半ばうつ状態に陥りました。
こんな話を聞くと「なんて酷い先生だ!」と同情してくださる方もいらっしゃると思いますが…確かにそう思った時期もありましたが、今となっては感謝しています。
というのも、整体院のお客様では有名なアーティストの方もいらっしゃる事もありますが、やはり絵を仕事とする事に対する「覚悟」が全く違う事をお話していて感じます。
*当院にお越しになっていたライブペインティングアーティストとして有名な井上純さんのyoutube動画
*純さんに頂いたポスターは院の入り口に飾っています。
中途半端な覚悟のまま、惰性で美大に進学してもロクな人生を歩まなかったと思います。
そんなネガティブな気持ちの毎日の中、「喉頭蓋浮腫」や「自然気胸」というどちらも呼吸器に関わる病気で繰り返し呼吸困難を経験し、死を身近に感じたことで、更に「本当に美大に進学して後悔しないのか?」と自問するようになりました。
次第に自分のやりたいことを追求したいという思いが強まり、当時憧れていたK-1のキックボクサーを目指すことに。
個展の準備に追われる中で、「自分の絵が世の中に認められない…」と口にする顧問の先生の姿。
私はその様子を見ながら、評価が曖昧で報われにくい“絵の世界”よりも、強さがはっきり結果に表れる格闘技の世界に惹かれていったのかもしれません。
あとは虚弱体質だったので、単純な肉体の強さにも憧れはあったと思います。
美大に進学する為に応援してくれていた両親には申し訳ない事をしました。
特に父は驚いた様子でしたが、「お前のやりたいことなら、やってみろ」と苦笑いしながら背中を押してくれました。
その時の父の顔は、今でも忘れられません。
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虚弱だった高校時代の僕が、なぜキックの世界に憧れたのか? それは「心も身体も強くなりたかった」から。
次回は、格闘技に挑戦して見えた“リアルな現実”をお話しします。 |
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